俳優・山口馬木也さんといえば、時代劇を中心に渋く存在感のある演技で知られる一方、「どんな経歴の人なの?」と気になる方も多いのではないでしょうか。実は彼、かつて絵本作家を目指して美大に通っていた異色の経歴の持ち主なんです。本記事では、そんな山口馬木也さんのプロフィールから学生時代の夢、俳優を志したきっかけ、遅咲きの主演映画『侍タイムスリッパー』でのブレイクまでを、エピソードを交えて丁寧にご紹介します。また、家族やプライベート、俳優としての信念や影響を受けた人物についても詳しく解説。この記事を読めば、山口馬木也さんの人柄と軌跡がより深く理解できます。
1. 山口馬木也とは?プロフィールと現在の活躍まとめ

画像引用:SHIN ENTERTAINMENT 山口 馬木也 Profile
時代劇を中心に、確かな演技力と独特の存在感で多くの作品に出演してきた俳優・山口馬木也さん。2024年に公開された映画『侍タイムスリッパー』でついに映画初主演を飾り、日本アカデミー賞をはじめとする名だたる映画賞を総なめにしたことで、にわかに注目を集める存在となりました。
彼の名前を最近知ったという方も多いかもしれませんが、実はキャリアはすでに25年以上に及び、NHK大河ドラマや時代劇シリーズなどで長年にわたって活躍してきた実力派。特に「剣客商売」シリーズで演じた秋山大治郎役では、剣の道に生きる真面目な青年を繊細に演じ、時代劇ファンの心を掴みました。
そんな山口さんの俳優人生は、じつは決して順風満帆とは言えず、20代後半での遅めのデビュー、そして50代での初主演という、いわば「遅咲きの俳優」としても知られています。しかし、その分だけ積み重ねてきた経験と覚悟が、演技の深みに結びついており、近年になってその実力が広く評価されるようになっています。
また、山口さんはバラエティ番組などにほとんど出演せず、SNSも一切やっていないため、「謎の多い俳優」としての印象も強いかもしれません。しかしインタビューでは家族への愛情や、俳優という仕事に対する誠実な姿勢が垣間見え、そのギャップにも多くのファンが魅了されています。
ここからは、そんな山口馬木也さんの基本的なプロフィールと、最新の活動について詳しくご紹介していきます。
1-1. 本名や年齢・出身地など基本情報
山口馬木也(やまぐち まきや)さんは、1973年2月14日生まれ。2025年時点で52歳を迎えられています。出身は岡山県で、自然豊かで穏やかな地域環境の中で育ったことが、彼のどこか落ち着いた雰囲気に影響しているのかもしれません。
身長は180cm、体重は73kgと、がっしりとした体格が特徴で、時代劇などの殺陣シーンでも存在感を放つ理由の一つとなっています。血液型はA型で、几帳面で真面目な性格が演技にもにじみ出ていると評されています。
実は「山口馬木也」という名前は芸名で、本名は槙矢秀紀(まきや ひでのり)さん。芸名の由来には少しユニークなエピソードがあり、「まきや」という響きを残しつつ、姓名判断にもとづいて、出身地に近い「山口」という姓と、「馬と相性がいい」と言われた「馬木也」を組み合わせたそうです。語感の良さや個性のある字面から、印象に残りやすい名前となっています。
1-2. 所属事務所と現在の活動状況
山口馬木也さんが所属している事務所は「SHIN ENTERTAINMENT(シン・エンターテインメント)」。この事務所は比較的新しいながらも、個性派俳優や映画人のマネジメントに力を入れており、山口さんのように独自路線で活躍する俳優との相性が良いことで知られています。
現在の山口さんは、2024年に大ヒットした主演映画『侍タイムスリッパー』の成功を受けて、多くの映画関係者やメディアからの注目を集めている最中です。同作は、池袋の小さな映画館でひっそりと始まったにもかかわらず、SNSや口コミで話題となり、最終的には全国340館以上で上映されるという大ヒットとなりました。まさに“令和のカルトムービー”と呼ぶにふさわしい現象を巻き起こし、その主演を務めた山口さんの名前は、一気に全国区へと広がりました。
さらに2026年には、NHKのスペシャル時代劇『豊臣兄弟!』で柴田勝家役を演じることが決定しており、時代劇俳優としての真骨頂を見せることが期待されています。
遅咲きながらも、着実に一歩一歩キャリアを築き上げてきた山口馬木也さん。今後の動向からも目が離せません。
2. 山口馬木也の学生時代:絵本作家を目指した美大生活
現在では時代劇を中心に活躍する渋みのある俳優として知られる山口馬木也さんですが、学生時代の夢は「絵本作家」だったというのは、意外に感じる方も多いかもしれません。俳優としてのイメージが定着している今では想像しにくいですが、彼の原点には“絵”という表現の世界がありました。
1973年に岡山県で生まれ、幼少期から絵を描くことが好きだったという山口さん。中学時代には図工の時間が何よりの楽しみだったと語っており、物語性のある絵に惹かれていたことがうかがえます。高校卒業後は、芸術系の進路を選び、京都精華大学の芸術学部洋画学科へと進学しました。
京都精華大学といえば、アートやデザイン、マンガなどの分野で高い評価を受けている学校で、数々の著名なクリエイターを輩出しています。そんな環境で山口さんは、自身の創造力を深めながら、「絵本作家として生きていく」という将来像を描いていたそうです。
俳優という現在の道とはまったく異なるように思えますが、“物語を伝える”という点では共通しており、表現に対する興味の延長線上に俳優業があったのかもしれません。ここからは、山口さんがどのような学生生活を送り、何を目指していたのか、さらに深く見ていきましょう。
2-1. 京都精華大学で学んだ芸術と創作の世界
山口馬木也さんが進学した京都精華大学芸術学部洋画学科は、絵画を中心とした表現を学ぶ学科で、美術を通して自己の感性を磨くことを目的としています。山口さんはこの場所で、本格的に創作の世界へと身を投じました。
大学では、人物画や静物画などの基礎から学び、絵の構成や色彩表現といった視覚的センスを養っていったと考えられます。本人も、「美大に入って、絵本作家なんかになれたらお洒落だなと思っていた」と語っており、当時は純粋に“絵の道で食べていきたい”という想いが強かったようです。
京都という歴史と文化が息づく土地で、美術と向き合う学生生活を送る中で、感性はさらに磨かれていったのでしょう。華やかな芸能の世界とは異なり、制作中心の日々は地味で地道だったかもしれませんが、この時期の経験が、のちの俳優業において「所作」や「空気感」を演じる感性へとつながっていったのかもしれません。
2-2. バイト漬けの日々と「お洒落な絵本作家」への夢
大学時代の山口さんは、理想と現実のギャップにも直面していました。絵本作家という夢を持ちながらも、日々の生活費を稼ぐために昼も夜もアルバイトに追われ、時には体を壊してしまうほどハードな生活を送っていたそうです。
「お洒落な絵本作家になれたら格好いいな」——そんな淡い憧れと裏腹に、現実は経済的に厳しく、夢を追うことの大変さを実感する日々だったといいます。それでも彼は夢を捨てることなく、創作活動を続けていたのです。
この頃の体験は、後の俳優人生にも大きな影響を与えました。経済的に苦しい状況の中でも“表現者でありたい”という強い気持ちを持ち続けたことで、後にどれほど厳しい下積み生活を経験しても、山口さんは折れることがありませんでした。
一見すると遠回りに見えるこの学生時代の経験こそが、彼の人間的な深みと、静かな演技の中に漂う説得力の源となっているのではないでしょうか。華やかな舞台に立つ今でも、「何も持たなかった若い頃の自分」を忘れずにいる——その姿勢が、山口馬木也という俳優の真の魅力を支えているのです。
3. 俳優を志したきっかけ:高校時代の映画体験が転機に
山口馬木也さんの俳優人生は、美大を卒業してから始まった“遅咲きのキャリア”として知られていますが、その原点は高校時代にまでさかのぼります。元々は絵本作家を志していた彼が、なぜ俳優の道へと進んだのか——そのきっかけは、1本の映画との出会いでした。
岡山県の高校に通っていた山口さんは、多感な時期にフランス映画『汚れた血(Mauvais Sang)』と出会います。この作品が、彼に“演じる”という世界の存在を深く刻み込んだのです。芸術への感受性が高まっていた時期だったからこそ、スクリーンに映し出される空気、静けさ、感情のうねりに強く引き込まれたのでしょう。
やがて大学では美術を専攻しながらも、心のどこかに“演じること”への憧れを持ち続けていた山口さん。その想いは一時的な感動で終わることなく、彼の中で静かに息づき続けていたのです。ここでは、その原点となった高校時代の映画体験と、俳優への道を切り開くことになった運命的な出会いについてご紹介します。
3-1. 『汚れた血』に衝撃を受けた高校時代
山口馬木也さんが初めて「俳優になりたい」と感じたのは、岡山県立総社高校に通っていた高校時代。当時観た映画『汚れた血』(1986年、監督:レオス・カラックス)は、彼の人生観を大きく揺さぶる作品となりました。
主演を務めた俳優ドニ・ラヴァンの表現力や、映像全体に漂う独特の世界観、感情をむき出しにした演技——そのすべてが、若き山口さんの感性に深く刺さったのです。彼はその瞬間、「演じることもまた、ひとつの芸術である」という視点に気づかされたといいます。
「映画って、こんなに自由で、こんなに美しいものなんだ」と感じたその体験は、後の人生の大きな転機となりました。美術という静的な表現から、俳優という動的な表現へ。方向性は違っていても、“何かを伝えたい”という根本の欲求は同じだったのかもしれません。
この衝撃的な出会いによって、山口さんは俳優という道を強く意識し始めます。しかし当時の彼には、芸能界や演劇の世界といったものはまるで遠い存在に感じられ、「劇団に入って役者になる」といった具体的な選択肢すら想像もできなかったそうです。
3-2. バーテンダー時代の出会いが俳優人生の始まり
大学卒業後、山口さんは東京へ上京。生活のために、夜はバーテンダーとしてクラブで働きながら過ごしていました。芸術から離れたかのように思えるその生活の中で、再び運命が大きく動き出します。
ある夜、クラブでの仕事中にたまたま出会った芸能関係者の一言が、山口さんの人生を変えました。「君、俳優やってみないか?」。その誘いは、学生時代に心の奥に秘めていた“演じることへの憧れ”を呼び覚まします。
その後、1998年公開の日中合作映画『戦場に咲く花』のオーディションを受け、見事合格。当時は演技の経験も乏しく、技術的にはまだ未熟だった山口さんですが、持ち前の情熱と真っ直ぐなエネルギーでチャンスをものにしました。
当時を振り返って、「舟木一夫さんの『高校三年生』を全力で歌ってアピールした」と語っているエピソードからも、彼の熱意と覚悟が伝わってきます。俳優としてのスタートは決して華やかではなく、むしろ不器用で粗削りだったかもしれませんが、それでも確実に彼は“演じる人間”として歩き出していたのです。
山口さんは今でも、「自分が俳優であるという実感はまだ持てていない」と語っています。それはきっと、どこまでも自分を磨き続け、飽くなき向上心を持つ山口さんだからこその言葉。表現者としての原点は、学生時代でも、デビュー作でもなく、クラブの片隅での小さな出会いだったのかもしれません。
そしてこの“偶然の出会い”こそが、彼の長く、そして深い俳優人生の第一歩となったのです。
4. 遅咲きの俳優人生:デビューから下積み時代を経て
今でこそ確かな演技力と存在感で評価される山口馬木也さんですが、俳優としての道のりは決して平坦ではありませんでした。俳優として本格的にデビューを果たしたのは25歳を過ぎてから。芸能界では比較的遅めのスタートとなり、その後もすぐに脚光を浴びるわけではなく、長い下積みの期間を経験しています。
派手なバラエティ出演や話題性のあるスキャンダルなどとは無縁の、まさに“実力一本”で勝負してきた山口さん。演技の仕事が少ない時期でも、与えられた役に全力を尽くし、ひとつひとつ積み重ねてきた努力が、のちのキャリアに結実していくのです。
ここでは、そんな山口馬木也さんの遅咲きの俳優人生における転機と、代表作となる作品群についてご紹介します。
4-1. 『戦場に咲く花』での衝撃デビュー
山口さんの俳優としての出発点は、1998年公開の日中合作映画『戦場に咲く花』でした。この作品で彼は、オーディションを経て初の映画出演を果たします。演技の経験も乏しい中、舟木一夫さんの『高校三年生』を大声で歌ってオーディションに挑んだというエピソードからも、彼の情熱と覚悟が伝わってきます。
当時の山口さんは「カメラの前で喋れれば、それでいい仕事だと思っていた」と語っており、俳優という職業の奥深さに驚き、圧倒されたといいます。しかし、その素直で真摯な姿勢が評価され、見事にデビューのチャンスを掴んだのです。
『戦場に咲く花』での経験は、彼にとってまさに“原点”とも言える作品。自分が未熟であることを認め、それでも一歩ずつ前に進もうとする姿勢が、後の長い下積み時代を支える精神力につながっていきました。
4-2. 『剣客商売』で時代劇俳優としての地位を確立
デビューから数年の間、山口さんは目立った活躍こそなかったものの、2003年に大きな転機が訪れます。藤田まことさん主演の人気時代劇シリーズ『剣客商売』第4シリーズで、主人公・秋山小兵衛の息子である秋山大治郎役に抜擢されたのです。
この役は、もともと第1〜2シリーズでは渡部篤郎さんが演じていたもの。名作として知られるシリーズで主要キャストを引き継ぐというプレッシャーの中、山口さんは見事にその役を自分のものとして演じ切りました。
秋山大治郎は、剣の道を真っすぐに生きる生真面目な青年という難しい役どころでしたが、山口さんはその凛とした所作と、静かな内面の強さを的確に表現。時代劇に欠かせない“殺陣(たて)”にも高い適性を示し、俳優としての評価を一気に高めました。
以降、シリーズ第5弾、そして6本のスペシャルドラマにも出演し、山口さんの代表作として知られるようになります。この『剣客商売』での演技が、彼を“時代劇に強い俳優”として確立させる大きなきっかけとなりました。
4-3. NHK大河ドラマでの存在感ある演技
『剣客商売』で時代劇俳優としての実力が認められた山口馬木也さんは、NHK大河ドラマへの出演も増えていきます。2001年の『北条時宗』で北条顕時を演じて以降、『八重の桜』(榎本武揚役)、『麒麟がくる』(朝比奈親徳役)、『鎌倉殿の13人』(山内首藤経俊役)と、着実に大河ドラマでの存在感を強めていきました。
大河ドラマは、演技力や歴史考証に基づいた所作の正確さが求められるため、俳優にとっては非常にハードルの高い現場です。しかし山口さんは、これまでの時代劇経験と豊かな表現力を武器に、登場シーンは少なくとも深い印象を残す演技で観る者の記憶に残る存在となっています。
特に『鎌倉殿の13人』では、冷静沈着ながら複雑な感情を抱える武士・山内首藤経俊を重層的に演じ、視聴者から高い評価を得ました。決して派手な演技ではありませんが、歴史上の人物にリアリティを与える力に優れており、“作品に深みを与える俳優”としてのポジションを築いています。
遅れてスタートした俳優人生の中で、じっくりと力を蓄え、評価を積み上げてきた山口馬木也さん。派手な話題よりも、確かな演技で勝負し続けてきたその姿勢こそが、今の彼の強さの源なのです。
5. 映画『侍タイムスリッパー』で迎えたキャリアの頂点
山口馬木也さんの俳優人生において、まさに“キャリアの頂点”と言える出来事が、2024年に訪れました。それが、映画『侍タイムスリッパー』での初主演です。この作品は単なる主演作という枠を超え、彼のこれまでの努力や経験、そして存在そのものが結実したような特別な意味を持つ作品となりました。
それまで長い間、脇役や時代劇の堅実な役どころを積み重ねてきた山口さんにとって、この主演映画はまさに転機であり、俳優としての新たなステージへの扉を開く一作だったと言えるでしょう。
5-1. 52歳で掴んだ映画初主演という快挙
俳優デビューから26年、52歳という年齢で初の主演映画を手にした山口馬木也さん。その遅咲きの主演デビューは、映画業界でも極めて稀なケースです。これまで積み重ねてきた演技力や信頼、そして作品に対する誠実な姿勢があってこそ、巡ってきた大きなチャンスでした。
『侍タイムスリッパー』は、最初は東京・池袋シネマ・ロサの1館のみでひっそりと公開が始まりました。しかし、SNSや口コミを通じてじわじわと話題を集め、わずか数週間で全国340館以上での拡大上映が決定。観客の熱量と作品の面白さが相まって、“令和の奇跡”とも呼ばれる大ヒット作へと成長しました。
映画の内容は、現代から戦国時代にタイムスリップした侍が、歴史を揺るがす出来事に巻き込まれていくという斬新なストーリー。ここで山口さんは、武士としての強さと人間としての葛藤を抱えた主人公を熱演し、その重厚な存在感で物語を牽引しました。
この映画の成功によって、長年「実力派」として静かに活躍してきた山口さんが一気に注目の的となり、若い世代の観客からも新鮮な発見として受け入れられるようになったのです。
5-2. 各種映画賞受賞で一躍脚光を浴びる
『侍タイムスリッパー』での主演は、観客だけでなく映画関係者や評論家からも高い評価を受け、数々の映画賞で山口馬木也さんの名前が挙がる結果となりました。
その代表的な受賞歴としては、第48回日本アカデミー賞での優秀主演男優賞、第37回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞 主演男優賞、さらに第67回ブルーリボン賞でも主演男優賞を受賞するなど、まさに“三冠級”の快挙を達成しました。
これらの受賞は、単なる人気や話題性にとどまらず、彼の演技力と作品への取り組み方が正当に評価された証でもあります。年齢を重ね、キャリアを積んだからこそ出せる深みや説得力。それを全身で体現した山口さんの演技は、映画業界のベテランたちからも称賛されました。
特に評価されたのは、感情を過剰に見せない中で、言葉や動作のひとつひとつに芯の通った演技が宿っている点。これは、若手俳優にはなかなか真似のできない“経験と熟成”による演技であり、まさに山口馬木也さんだからこそ到達できた領域です。
このようにして、50代にしてようやくスポットライトの中心に立った山口さん。その道のりは平坦ではありませんでしたが、着実に積み重ねてきた努力が見事に花開いた瞬間でもありました。そして今、彼は“遅咲きのスター”として、さらに多くの作品と出会い、新たな伝説を刻みつつあるのです。
6. 山口馬木也の人柄と家族:私生活から見える素顔
作品の中では硬派で寡黙な役柄を演じることが多い山口馬木也さんですが、私生活ではどのような一面を持っているのでしょうか。実は彼は、自らの家族やプライベートについて多くを語らない俳優として知られています。しかし、限られたインタビューなどからは、家族を大切にする温かい人柄や、俳優業に対する誠実な姿勢が垣間見えてきます。
華やかな芸能界に身を置きながらも、あくまでも“人間としての品格”を大切にしているように感じられるのが、山口さんの魅力のひとつです。ここでは、そんな彼の家族への想いや、情報発信のスタイルから見える内面についてご紹介します。
6-1. 結婚と子供、家族への想い
山口馬木也さんは、プライベートで結婚しており、二人のお子さんがいらっしゃいます。お相手の女性は芸能関係ではなく、一般の方とのこと。2025年3月のインタビューでは、「妻は芸能界の人ではありませんし、SNSもやっていないので、公表の仕方がわからないだけなんです。隠しているわけではないですよ」と、率直かつ誠実に語っていました。
このコメントからも分かるように、山口さんは“家族を守る”というスタンスを大切にしており、必要以上に私生活を晒すことを避けています。だからといって秘密主義というわけではなく、あくまで家族のプライバシーを第一に考えている、落ち着いた大人の対応だと言えるでしょう。
俳優という職業柄、どうしても表舞台に立つ機会は多くなりますが、山口さんはその一方で“家に帰れば普通の夫であり父親”という立場をしっかりと持ち続けています。日々の忙しさの中でも、家族と過ごす時間を大切にしている様子が言葉の端々から伝わってきます。
芸能人としてではなく、ひとりの人間として家族と向き合う姿勢。そこにこそ、彼が長く信頼される俳優であり続けられる理由があるのかもしれません。
6-2. SNSを使わない理由とプライバシーへの配慮
山口さんがもうひとつ注目されているのは、現代の俳優としては珍しく、SNSを一切利用していないという点です。X(旧Twitter)やInstagram、ブログといった個人発信のツールが全盛の時代において、あえて「何も発信しない」スタンスを貫いているのです。
その理由について山口さんは、「SNSはやっていないし、発信の仕方がわからない。でも、別に何かを隠したいわけではない」と語っています。この発言には、表現者としての“舞台や映像作品の中で勝負したい”という思いと、必要以上に自分を見せないという美学が込められているように感じられます。
また、SNSがもたらす誤解や炎上リスクを避けるという意味でも、あえて距離を取る判断は非常に現実的です。ファンとの距離感を保ちつつ、あくまでも“作品の中でのみ自分を見せる”という姿勢は、現代ではむしろ新鮮に映ります。
プライベートを安易に切り売りせず、家族や周囲の人々を守るために発信を控える。その姿勢には、俳優という職業に対する覚悟と、家族への深い配慮が感じられます。
結果として、山口馬木也さんは“謎めいた俳優”としての印象を保ちながらも、多くのファンから強く信頼されているのです。それは、言葉よりも行動で誠実さを示す、まさに山口さんらしい生き方の表れなのではないでしょうか。
7. 俳優としての信念と影響を受けた人物たち
俳優・山口馬木也さんの演技には、目立ちすぎないのに深く印象に残る“静かな強さ”があります。その背景には、彼自身がこれまでに出会ってきた偉大な先輩たちから受けた多大な影響、そして長年にわたり抱き続けている俳優という仕事への憧れと探求心があります。
大きなスキャンダルも話題性もなく、演技一筋でキャリアを築いてきた山口さんは、「自分はまだ本当の意味で俳優になれていない」と語るほど謙虚で、常に高みを目指し続ける姿勢を貫いています。その心の核にあるのは、演じるということに対する“信念”と、“尊敬する俳優たちの背中”です。
7-1. 藤田まこと、役所広司、三船敏郎からの影響
山口馬木也さんが影響を受けた人物として、まず真っ先に名前を挙げているのが、俳優・藤田まことさんです。2003年にスタートしたテレビドラマ『剣客商売』シリーズで、藤田さんが演じた主人公・秋山小兵衛の息子、秋山大治郎役を山口さんが演じることになったことで、2人は現場で多くの時間をともにしました。
藤田さんは、現場での立ち振る舞いから演技への向き合い方、そして一言の重みまで、すべてが“学び”だったと山口さんは語っています。ただの共演者ではなく、“恩師”と呼べるほど深く影響を与えてくれた存在であり、藤田さんから受け継いだ時代劇俳優としての“気構え”が、現在の彼の礎となっています。
また、山口さんが憧れてやまない俳優の一人が、役所広司さんです。かつて「役所さんのような俳優になりたい」と語ったこともあり、役所さんの演技に対する深さや、役に溶け込む力、存在感に強いリスペクトを抱いています。共演経験こそ少ないものの、テレビや映画を通じてその姿勢を学び、理想像として掲げてきました。
そしてもう一人、山口さんが尊敬してやまないのが、世界的名優・三船敏郎さん。特に三船さんの“感覚が研ぎ澄まされた演技”に憧れを抱いており、自分もいつか、言葉ではなく動きや空気で物語を伝えられるような俳優になりたいという想いを語っています。
こうした偉大な俳優たちの存在が、山口さんの中で“演技とは何か”を深く掘り下げる原動力となっているのです。
7-2. “俳優になる”という憧れを今も抱き続ける理由
意外に思われるかもしれませんが、山口馬木也さんは現在でも「自分が本当に俳優になれているかどうか、まだ分からない」と語っています。この言葉は、決して謙遜ではなく、彼の心からの本音です。
「演技というのは、毎回が挑戦。どれだけ経験を積んでも、“これが正解”という形が見えない。だからこそ、飽きることがないし、ずっと憧れ続けていられるんです」と、彼は語っています。
若い頃から持ち続けてきた“演じること”への強い想いは、キャリアを積むごとにますます深まり、挑戦を重ねるほどに「もっと上手くなりたい」「もっと役に入り込みたい」という欲求へと変化していきました。
52歳で映画初主演を果たし、数々の映画賞に輝いた今もなお、山口さんは初心を忘れず、次の役へと全力で向き合っています。世の中には「売れたい」「目立ちたい」と考える俳優も多い中で、彼は一貫して“演じること”そのものを目的とし、作品の中で役として生きることに喜びを見出しています。
だからこそ、彼の演技には嘘がなく、見る人の心に深く届くのです。“俳優になる”という憧れを、デビューから25年以上経った今でも胸に抱き続けている山口馬木也さん。その真摯な姿勢が、多くの人に静かな感動を与え続けています。